フランス南部 リヨン郊外 ラ・コート=サン=タンドレ に生まれる。 |
0歳 |
1803年 |
パリの医科大学に入学するが、オペラに夢中になる。 |
18歳 |
1821年 |
パリ音楽院の作曲家教授ジャン=フランソワ・ル・シュールに個人的に師事して、『荘厳ミサ曲』を書き上げ演奏会を行う。
このことが両親に知れ、連れ戻される。 |
22歳 |
1825年 |
送金を止められたまま、パリ音楽院に入学。
再三のローマ大賞※への挑戦の熱意におされ、送金が再開される。 |
23歳 |
1826年 |
オデオン座でイギリス劇団の「ハムレット」をみる。
4歳年上の人気女優ハリエット・スミッソンに夢中になる。 |
24歳 |
1827年 |
スミッソンに近づくために、自分の名前をパリ中に知らせるコンサートを、巨額の負債を負いながら行う。
その後、ベルリオーズは熱烈なラブレターを送るが受け取りを拒否される。 |
25歳 |
1828年 |
スミッソン、イギリスへ帰る。
直後に、ベルリオーズは友人にこう書き送っている。
「彼女は今ロンドンにいる。それなのに僕は身近に彼女がいるように思えてならない。彼女のことを思うと、僕の心臓は動悸を打ち、蒸気機関のピストンのように僕を駆り立てる。僕の身体の筋肉は苦痛のあまり慄えている。」それから2ヵ月後の1830年4月16日に、ベルリオーズは「幻想交響曲」の完成を報告している。
若く美しいピアニスト、マリー・モークと恋に落ちる。
5度目の挑戦でローマ大賞第1位を獲得する。これによりマリーの両親から婚約を許可される。 |
27歳 |
1830年 |
ローマ留学中に、ベルリオーズとの結婚に反対だった母親により、マリーはピアノ会社の御曹司と結婚してしまう。
これを知ったベルリオーズは、ピストル2丁と自殺用の毒薬と変装用の女物の衣服を買いフランスへと馬車を走らせるが、思いとどまる。
この一件から、叙情的独白劇『レリオまたは生への回帰』が生まれる。
パリに戻り、幻想交響曲の演奏を聴いたスミッソンと結婚する。一人息子を授かる。 |
28歳 |
1831年 |
スミッソンのために慈善演奏会を開く。(ショパンはリストと共に出演) |
30歳 |
1833年 |
スミッソンと別居。
このころ、フランス国内よりも国外での評価が高まり、外国への演奏旅行にたびたび出かける。 |
38歳 |
1841年 |
ハリエット・スミッソン死去。
同棲していた10歳年下の歌手のマリー・レチオと結婚する。 |
51歳 |
1854年 |
マリー・レチオ死去。 |
59歳 |
1862年 |
パリで死去。 |
65歳 |
1869年 |